100年前の1916年4月30日の夜11時、世界で初めてドイツで一斉に時計の針を1時間進めました。
それから100年。2016年の今年は、ドイツにおけるサマータイム生誕100周年にあたります。
100年間ずっとサマータイムが続いてきたわけではなく、中止や再開が繰り返されてきました。
初めてサマータイムを導入した1916年は第一次世界大戦下にあり、エネルギーの争奪戦に勝利すべく、夜間の石炭や灯油、ガスの使用を抑える目的で始められました。
同様のエネルギー節約の理由から、第二次世界大戦の間、また1973年のオイルショックの時にも再開されました。
そして1980年から現在に至るまで継続されています。
しかしサマータイムの意義については、議論され続けています。
本当にエネルギーの節約になるのか、経済的にいい影響があるのか、時間の切り替え時に交通事故が増えるのはなぜか、人間への生理的、心理的、健康上への影響は?と様々な角度から研究されています。
人間と時間はこんなにも影響し合う存在なのですね。
サマータイムの研究は、サマータイムの廃止か継続かという議論にとどまらず、人間と時間の関わりについて知る良いきっかけだと思います。
ですが大昔の人間が聞いたら、なんとくだらない議論なんだと言うかもしれません。
日が昇ったら起床して活動し、日が落ちたら就寝すれば良いだけではないかと、そうして太陽の時間に合わせることが人間の時間リズムなのだと。
しかし現代の人間は、そんなふうに時間に対して本能的に関わることはもはやできませんから、だからこそサマータイムの議論は尽きないのです。
人間と、そして社会生活、個人のライフスタイルが、複雑に混ざり合って議論の決着を困難にしています。
個人的には社会的にサマータイムを行う意義を一般化するのは無理ではないかと思います。国単位で考えることも不自然です。
例えば以前、北海道で自主的なサマータイムが推奨されていたことがありましたが、そのように、緯度がかけ離れた北海道と沖縄をひとくくりにすることはできません。
ライフスタイルによる違いも大きいです。
私のように、昨日は7時に起きたのに今日は9時に起きて、明日は6時に起きるといったような、良く言えば柔軟なリズム、悪く言えばリズムが乱れた生活をしている人間にとっては、サマータイムがもたらすことに、良いことはあっても悪いことはないかもしれません。
朝のキラキラとした日の光や新鮮な空気を享受するチャンスが増え、外で日の光を浴びて活動できる時間が長くなるわけですから。
外で運動したり、読書したり、ピクニックしたり…。でも、一日の決まった時間に起床し、食事し、散歩し、読書し、就寝することを厳守していて、まるで生きる時計だったという哲学者カントなら、きっとサマータイム制度に激怒したことでしょう。
そう考えると、サマータイムは夏の日照時間をどう使うか、という個人のライフスタイルに問いかけるものですから、個人がその答えを出さなくてはいけません。良い、悪い、の問題ではなくて、夏にどう活動するか、どう楽しむか、どう生きるかという、夏から私たちに出された問いかけです。
さあ、どのように答えましょうか。